第九を通して聴くと、第4楽章だけ様子が違うことに気づきます。
まず長い。全体が70分前後で、そのうち4分の1近くを第4楽章が使います。そして途中で人の声が入る。さらに、シンバルと大太鼓とトライアングルが鳴り出して行進曲になり、最後は本格的なフーガになります。
ここまで詰め込んだ楽章は、当時ほかにありません。交響曲の終楽章として見ると、明らかに逸脱しています。
この記事では「感動的だから」という説明を使いません。総譜に印刷された速度記号の並びだけを追います。それだけで、この楽章の形はかなりはっきり説明できます。
まず、速度記号を書き出す
IMSLPに公開されている総譜で、第4楽章の速度指示を順に拾うと、こうなります。
| 順 | 速度指示 | そこで起きること |
|---|---|---|
| 1 | Presto | 激しい不協和音(「恐怖のファンファーレ」) |
| 2 | Allegro ma non troppo | 第1〜第3楽章の主題が順に引用され、そのつど否定される |
| 3 | Allegro assai | 「歓喜の主題」が低弦で提示され、変奏で積み上がる |
| 4 | Allegro assai vivace alla Marcia | 行進曲。トライアングル・シンバル・大太鼓が入る |
| 5 | Andante maestoso | 速度が落ち、「Seid umschlungen(抱き合え)」の荘重な主題 |
| 6 | Allegro energico | 二重フーガ。二つの主題が同時に扱われる |
この並びを、少し引いて見てください。速い → もっと速く躍動する舞曲風 → ゆっくり荘重に → 速く力強く。
これは、交響曲そのものの楽章配置です。
第4楽章の中に、交響曲がまるごと入っている
古典派の交響曲は、おおむねこう並びます。第1楽章=速いソナタ形式、第2楽章=舞曲(スケルツォ)、第3楽章=ゆっくりした緩徐楽章、第4楽章=速いフィナーレ。第九自身も、その順です。
先ほど書き出した第4楽章の後半4区画を、この枠に当てはめると、そのまま収まります。
この見立てが正しいなら、第4楽章が長いのは当然です。中に交響曲が1曲入っているのですから。
なぜ、前半で「否定」が要るのか
後半だけなら、話は単純です。歓喜の主題を出して、変奏して、盛り上げて終わればいい。ところがベートーヴェンは、その前に7分ほどかけて過去を却下するという手順を踏みます。
順番はこうです。Prestoの不協和音で場を破壊したあと、低弦がレチタティーヴォ(語るような節回し)を弾きます。すると第1楽章の冒頭が回想として現れる。低弦がそれを遮る。第2楽章が現れる。また遮る。第3楽章が現れる。また遮る。そして歓喜の主題の断片が出たところで、低弦が初めて肯定する。
レチタティーヴォが先に来る意味
注目したいのは、この「却下」を最初にやるのが、人の声ではなく低弦だという点です。
レチタティーヴォはもともとオペラの語りの様式で、言葉を持つ人間が使うものです。それを楽器にやらせている。声が入る前に、楽器が声のふりをして議論を始めているわけです。
そのうえで、同じ音型をバリトンが引き継ぎ、「おお友よ、このような音ではない!」と歌い出します。この歌詞はシラーの詩にはなく、ベートーヴェン自身が書き足した言葉です。
つまり構造として、楽器が問題提起し、人の声がそれを引き取って結論を出すという受け渡しになっています。声楽を入れる理由が、形の上で用意されている。ここが「合唱付き」という副題の本当の意味に近いところだと思います。
なぜ、トルコ風の行進曲なのか
後半でいちばん唐突に聞こえるのが、行進曲の区画です。急に変ロ長調になり、テノール独唱が入り、トライアングル・シンバル・大太鼓が鳴ります。
IMSLPの総譜情報でも、この3つの打楽器は第4楽章に登場する楽器として記載されています。第1〜第3楽章では出てきません。ティンパニ以外の打楽器が、ここで初めて交響曲に入ってくる形です。
この編成は、当時「トルコ風(アッラ・トゥルカ)」と呼ばれたものです。オスマン帝国の軍楽隊の響きを模したもので、モーツァルトの《トルコ行進曲》なども同じ発想にあります。
なぜここに置いたか
説明の仕方はいくつもありますが、構造から言えば単純です。ここはスケルツォの位置だからです。舞曲的で、拍が明確で、性格が軽い区画が必要になる。トルコ風の行進曲は、その条件を満たします。
加えて、歌詞との対応もあります。この部分でテノールが歌うのは「英雄のように喜ばしく走れ」という趣旨の節で、行進する内容です。詩の側とも矛盾しません。
※ 当時のヨーロッパにおける「トルコ風」は、実際のオスマン音楽の再現ではなく、異国のイメージを様式化したものです。現代の耳で聴くときは、その前提を差し引いて聴く必要があります。
なぜ、最後がフーガなのか
Andante maestosoで「Seid umschlungen, Millionen(抱き合え、幾百万の人々よ)」という新しい主題が、荘重に提示されます。ここが緩徐楽章の位置です。
そして最後、Allegro energicoで二重フーガになります。二重フーガとは、二つの主題を同時に扱うフーガのことです。ここで組み合わされるのは、「歓喜の主題」と「Seid umschlungenの主題」。
つまり、別々に出してきた二つの主題を、最後に重ねて一つにするという設計です。
これはフィナーレとして理にかなっています。それまでに提示した材料を、最も密度の高い書法でまとめる。フーガは複数の声部が同じ主題を追いかける形式ですから、「多数が一つになる」という詩の主題とも形が一致します。
聴くときの手がかり
以上を踏まえると、第4楽章はこう聴けます。
- 最初の7分ほどは、まだ本編ではない。過去の楽章を却下する手続きの区画。ここで退屈しても問題ない
- 低弦のレチタティーヴォを追う。誰が話しているかが分かると、あとでバリトンが引き継ぐ瞬間が効いてくる
- 打楽器が増えたら、スケルツォの位置に来た合図
- 速度が落ちて荘重になったら、緩徐楽章。新しい主題が出るので覚えておく
- 最後に二つの主題が重なる。ここを聴き取れると、この楽章の設計が一度に見える
第九は「感動する曲」として紹介されがちですが、感動の前に、かなり込み入った設計があります。設計を知ってから聴くと、感動の量が減るということはありません。むしろ、どこで何が起きているか分かるぶん、長い70分が短くなります。
※ 自筆の総譜は大半がベルリン国立図書館に、19世紀に抜き取られた一部がボンのベートーヴェン・ハウスとパリのフランス国立図書館に分かれて所蔵されています。2001年にユネスコ「世界の記憶」に登録されました。