サブスクで「モーツァルト」と検索すると、画面が止まりません。交響曲、協奏曲、オペラ、ソナタ。スクロールしても終わりが見えない量が出てきます。
よく「35年の生涯で600曲以上を書いた」と言われます。数字としては知っていても、それがどういう働き方だったのかは、あまり想像がつきません。1年あたり何曲、という割り算をしても、あまり実感になりません。
そこで、作品の目録そのものを数えてみました。すると、600という総数より、その内訳のほうが人物を語っていました。
まず、600という数字を確かめる
モーツァルトの作品には、ケッヘル番号(K.)という通し番号が付いています。19世紀に音楽学者ケッヘルが整理したもので、おおむね作曲された順に振られています。
楽譜のパブリックドメイン・ライブラリであるIMSLPには、モーツァルトの項目が一式そろっています。ここから全項目を取得して、機械的に数えました。
| 項目 | 数 |
|---|---|
| IMSLPの総項目数 | 754件 |
| うち本編のケッヘル番号を持つもの | 650件(重複を除くと600の異なるK番号) |
| K.Anh.(付録・偽作・断片を含む) | 89件 |
| K番号の範囲 | K.1 〜 K.708 |
※ 編集部がIMSLPの作曲家カテゴリをAPIで全件取得して集計(2026-08-22取得)。IMSLPに項目が無い作品もあるため、これは「楽譜が公開されている作品の数」であって、全作品数そのものではありません。
「600曲」という言い方は、だいたい合っていました。重複を除いたK番号の数が、ちょうどその規模になります。
その半分は、20代前半までに書かれている
面白いのはここからです。K番号を100ずつに区切って、件数を並べてみました。
| K番号の範囲 | 件数 |
|---|---|
| K.1 – 100 | 114 |
| K.101 – 200 | 100 |
| K.201 – 300 | 100 |
| K.301 – 400 | 99 |
| K.401 – 500 | 106 |
| K.501 – 600 | 96 |
| K.601 – 700 | 34 |
ほぼ平らです。どの帯にも100件前後が並んでいます。最後の帯だけ少ないのは、そこで生涯が終わっているからです。
K番号はおおむね作曲順ですから、これは時間の目盛りとして読めます。K.1は5歳ごろの作品、絶筆となったレクイエムがK.626です。
そこで、K.626までのうちK.300以下が占める割合を出しました。48.6%。ほぼ半分です。
※ ケッヘル番号の年代づけは推定を含み、目録の版(K1版・K6版)によって改訂されています。「K.300はちょうど何歳」と断定はできません。ここでは「おおむね20代前半まで」という幅で読んでいます。
「神童」を、数字で言い直す
モーツァルトは神童として語られます。父レオポルトに連れられて幼いころから欧州を演奏旅行し、各地で腕前を披露しました。
ただ、神童という言葉は「早くに才能が現れた」という意味に寄りがちです。この分布が示しているのは、少し違うことです。早熟だっただけでなく、若いうちに全体の半分を書き終えていた。そういう量の話です。
35年の生涯で600曲。その半分が20代前半までなら、10代から20代前半にかけて、ほとんど毎月のように新しい曲が仕上がっていた計算になります。演奏旅行をしながら、です。
これは才能の話というより、日常の話だと思います。曲を書くことが特別な行為ではなく、朝起きて働くのと同じ位置にあった。目録の平らな分布は、そういう毎日の積み重ねの形をしています。
途中で、働き方が変わっている
経歴のほうも見ておきます。モーツァルトははじめ、ザルツブルクの大司教に仕える宮廷音楽家でした。注文を受けて曲を書く、雇われの立場です。
その後そこを離れ、ウィーンで独立します。特定の主人を持たず、演奏会や出版、レッスンで生計を立てる働き方です。オペラ『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』は、この時期の仕事にあたります。
K番号の後半、K.400以降にも100件前後が並び続けているのは、独立後も手が止まっていないということです。立場が変わっても、書く量は落ちていません。
35歳で、K.626で止まる
1791年12月5日、ウィーンで亡くなります。35歳でした。最後の仕事はレクイエム、K.626です。完成しないまま絶筆になりました。
亡くなる前の症状として、全身のむくみと高熱が伝わっています。ウィーンの公式記録に残る死因の表記は「急性粟粒疹熱(きゅうせいぞくりゅうしんねつ)」です。
ただしこれは当時の病名であって、現代の診断名ではありません。何の病気だったのかは、いまも確定していません。
死因は、100を超える説がある
モーツァルトの死因については、これまでに100を超える説が唱えられてきたとされます。遺体が特定されておらず、直接調べる手段がないためです。
そのなかで、いま比較的強い根拠を持つとされているのが2009年の研究です。アムステルダム大学のツェーヘルスらが、医学誌『Annals of Internal Medicine』に発表しました。
この研究が調べたのは、モーツァルト本人ではありません。ウィーンに残る公式の死亡日誌です。1791年11月・12月と1792年1月、さらに前後の年の同じ時期の死亡記録をすべて分析しました。街全体の死に方の傾向から、彼の死を位置づけようとする手法です。
結論として、連鎖球菌(溶連菌)の感染に起因する急性の腎炎によるものだった、と結論づけています。全身のむくみという症状とも符合します。
※ 当誌が確認したのは論文の書誌情報と、複数の報道が一致して伝える結論までです。論文本体は有料で公開されており、本文を読んだうえでの引用はしていません。
毒殺説について
作曲家サリエリによる毒殺、という話を聞いたことがあるかもしれません。これは俗説とされていて、裏づけとなる根拠は示されていません。
広まったのは、戯曲や映画の影響が大きいと考えられます。映画『アマデウス』は評価の高い作品ですが、人物描写には脚色が含まれます。作品として観るぶんには問題ありませんが、伝記として読むと事実からずれます。
この記事のあとに
目録の話をしてきましたが、聴くときに番号を気にする必要はありません。ただ、番号が大きいほど後年の作品だ、という程度に知っておくと、聴く順番を組みやすくなります。
この記事で見た分布からいうと、前半のK番号にも、後半と同じだけの作品が眠っています。有名曲は後半に偏って紹介されがちなので、前半を意識して探すと、知らない曲に当たりやすいはずです。
代表曲からの入り方は、別の記事で編成別に整理しています。