年末になると、日本中のホールで第九が鳴ります。これだけ演奏されているのだから、演奏の形も決まっているように思えます。ところが録音を並べてみると、まるで様子が違うのです。
手元の7枚で、ディスクの収録時間を確かめてみてください。いちばん短いもので約59分。いちばん長いもので約78分。同じ譜面で、20分近い差がついています。映画でいえば、90分の作品と110分の作品ほどの違いです。
この記事では、その差がどこから来るのかを、3つのものさしで見ていきます。順位はつけません。知りたいのは優劣ではなく、「70分の曲を、演奏家がどう組み立てているか」のほうだからです。
聴き比べの「ものさし」を3つだけ
『運命』なら、冒頭の一撃だけで演奏の性格がわかります。でも第九には、そういう便利な入口がありません。70分という長さ全体に、演奏家の考え方が出るからです。そこでこの記事では、少し引いたところから見る3つのものさしを使います。
その前に、曲そのものを確かめておきましょう。「歓喜の歌」を含む第4楽章の全曲です。
♪ 試聴:ベートーヴェン 交響曲第9番 第4楽章(歓喜の歌)
“Symphony No. 9 – IV. Presto – Allegro assai” by Skidmore College Orchestra / Musopen / Public Domain
ものさし1:総演奏時間 ――いちばん正直な数字
いちばん確認しやすく、いちばん多くを教えてくれる数字です。単に速い・遅いという話ではありません。第4楽章をどう扱うかの考え方が、そのまま時間に出ます。
第4楽章には、行進曲風の変奏(同じメロディを姿を変えて繰り返す部分)があります。終盤には二重フーガ(2つのメロディを同時に追いかけっこさせる書き方)もあります。ここをテンポで一気に進めれば短くなります。逆に、儀式のように一歩ずつ積み上げれば長くなります。その差は10分単位で動きます。
ひとつ注意を。以下で挙げる数字は、各レーベルの商品ページに載っているディスクの収録時間です。曲そのものの正味の演奏時間とは一致しません。ライヴ盤には、開演のアナウンスや終演後の拍手が入っていることがあります。それだけで数分変わります。ざっくりした傾向をつかむための目安として見てください。
ものさし2:楽器と編成 ――「重厚な第九」だけではない
「第九は重厚な曲」というイメージがあります。ただこれは作曲当時の音ではありません。19世紀後半から20世紀にかけて、だんだん作られてきた音だという見方が、いまでは定着しています。録音で選べる道は、おおよそ3つあります。
ひとつめは古楽器(ピリオド楽器。ベートーヴェンの時代の楽器や、その複製)です。ガット弦(羊の腸などで作る昔ながらの弦)を張り、音の揺らし(ビブラート)を抑えた弦楽器。バルブが付く前の、素朴な管楽器。人数も少なめです。響きが軽いぶん、和音の移り変わりや、メロディどうしの絡み合いがよく聞こえます。
ふたつめは現代楽器のフル編成。ベルリン・フィルやウィーン・フィル級の人数による、厚く大きな響きです。そして3つめが現代楽器の室内編成(少人数のオーケストラ)。古楽器の研究で分かったことを、現代の楽器のまま小さな編成に持ち込むやり方で、比較的新しい選択肢です。
ものさし3:合唱団の性格 ――第4楽章の主役はだれか
第九は、指揮者とオーケストラだけでは決まらない、数少ない交響曲です。バリトン独唱が「O Freunde(おお友よ)」と歌い出します。そこからの十数分は、合唱団の性格が音のかなりの部分を決めます。
歌劇場の合唱団なら、オペラのような声の重さと揺れが乗ります。放送局の合唱団をいくつも合同させれば、人数と音量が最大になります。古楽系の少人数合唱なら、言葉の子音がくっきり立ち、声の重なりが見通せます。同じ「歓喜の歌」でも、鳴っているものが違うのです。
7枚を、数字で並べてみる
まず全体像です。編集部で各レーベルの商品ページを突き合わせ、収録時間・録音方式・編成・合唱団の性格を1枚の表に整理しました。
| 指揮者/楽団 | 録音年 | 収録時間 | 録音方式 | 編成 | 合唱団の性格 |
|---|---|---|---|---|---|
| フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管 | 1951(ライヴ) | 1:14:00 | モノラル | 現代楽器フル | 音楽祭の祝祭合唱団 |
| トスカニーニ/NBC交響楽団 | 1952 | 1:04:45 | モノラル | 現代楽器フル | 合唱指揮者名を冠した合唱団 |
| カラヤン/ベルリン・フィル | 1962 | 1:07:03 | ステレオ | 現代楽器フル | ウィーンの演奏協会合唱団 |
| ベーム/ウィーン・フィル | 1970 | 1:12:49 | ステレオ | 現代楽器フル | 歌劇場合唱団 |
| バーンスタイン/混成大編成 | 1989(ライヴ) | 1:18:00 | ステレオ | 現代楽器・多国籍混成 | 合唱3団体の合同 |
| ガーディナー/オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティク | 1992 | 0:59:44 | デジタル | 古楽器 | 古楽系の少人数合唱 |
| P.ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィル | 2008 | 1:03:53 | デジタル | 現代楽器・室内編成 | 室内合唱団 |
この表から、はっきり分かることがひとつあります。時間の長さは、録音年の新しさとは関係しません。1952年のトスカニーニは1時間4分。1989年のバーンスタインは1時間18分です。技術が進んだから速くなった、という単純な話ではないのです。
名盤7枚を、時代順に
フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団(1951年)
1951年7月29日、戦争で中断していたバイロイト音楽祭が再開されました。その開幕演奏会のライヴ録音です。「第九の録音といえばまずこれ」と挙げられることが、いちばん多い一枚です。独唱にシュヴァルツコップ、合唱に音楽祭の祝祭合唱団。当時のワーグナー上演を支えた顔ぶれが、そのまま入っています。
演奏の特徴としてよく言われるのは、テンポが場面ごとに大きく速くなったり、遅くなったりすることです。収録時間は1時間14分。速い部類ではありません。
ひとつ知っておくと、迷わずに済むことがあります。この日の演奏には音源の系統が2つあります。ひとつは、バイエルン放送が保管していた音源によるもの(1:14:00)。もうひとつは、スウェーデン放送に残っていた中継音源によるもの(1:22:43)です。後者は開演前のアナウンスから指揮者の入場、終演後の2分半を超える拍手まで、編集なしで収めています。その分だけ長いのです。同じ演奏なのに収録時間が8分違う、という現象はここから来ています。
トスカニーニ/NBC交響楽団(1952年)
ニューヨークのカーネギー・ホールでのセッション録音(演奏会ではなく、録音のために演奏したもの)です。トスカニーニが第九で発売を許可した、唯一の録音とされています。前のフルトヴェングラー盤と、対比して語られることの多い一枚です。テンポの伸び縮みを抑えて、譜面の指示に近づける方向と評されます。収録時間は1時間4分45秒。1950年代の録音としては短い部類です。
合唱はロバート・ショウ合唱団。合唱指揮者の名前が団体名として前に出る録音で、当時としては珍しい扱いでした。ものさし3を意識するなら、この盤とベーム盤を続けて聴くのが分かりやすいと思います。
カラヤン/ベルリン・フィル(1962年)
カラヤンは第九を生涯に4回録音しました。これはそのうち、1961〜62年の1回目の全集に入っている一枚です。ベルリンでのセッション録音で、収録時間は1時間7分3秒。ステレオ期の3枚(カラヤン・ベーム・バーンスタイン)のなかでは、いちばん短い数字です。
編成でおもしろいのは、ベルリンのオーケストラにウィーンの合唱団という組み合わせであることです。独唱はヤノヴィッツほか。多くの人が「ドイツの重厚な響き」として思い浮かべる音は、かなりの部分がこの時期の録音群で作られました。比べるときの基準を1枚持っておきたいなら、ここが分かりやすい選択です。
ベーム/ウィーン・フィル(1970年)
ウィーンのムジークフェラインザールでのセッション録音です。収録時間は1時間12分49秒。カラヤン盤と同じステレオ黄金期なのに、約6分長いのです。この事実が、この記事でいちばん役に立つ材料かもしれません。時代のせいでも技術のせいでもなく、演奏の組み立て方の違いだけで、時間はここまで動きます。
合唱はウィーン国立歌劇場合唱団。独唱にはグィネス・ジョーンズやジェス・トーマスなど、ワーグナーを歌う歌手を揃えた布陣と評されます。ものさし3でいう「歌劇場の重さ」が、そのまま音になった一枚です。
バーンスタイン/混成大編成(1989年)
ベルリンの壁崩壊を受けて、1989年12月25日に東ベルリンで開かれた記念演奏会のライヴです。バイエルン放送交響楽団を母体に、ドレスデン、ロンドン、ニューヨーク、パリなどの奏者が加わった多国籍の編成です。合唱も3団体の合同でした。7枚のなかで規模は最大、収録時間1時間18分も最長です。
そしてこの演奏は、もうひとつ特別なことをしています。バーンスタインは第4楽章の歌詞「Freude(歓喜)」を「Freiheit(自由)」に置き換えました。演奏の出来そのものより、歴史的な出来事と一体になった録音として語られることの多い一枚です。聴くというより、その場に立ち会う感覚に近いかもしれません。
ガーディナー/オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティク(1992年)
ベートーヴェンの時代の楽器で演奏した全集の一枚です。ロンドンでの録音で、収録時間は59分44秒。この記事で唯一、1時間を切っています。フルトヴェングラー盤とは15分近い開きがあります。ものさし1だけで、記事が一本書けてしまうほどの差です。
ガット弦の細い音、抑えたビブラート、鋭く割れる昔ながらの金管。厚い響きに慣れた耳には、最初は「軽い」と聞こえるかもしれません。ただテンポが速いぶん、曲の骨組みは追いやすくなります。和音の変化もよく聞こえます。
合唱はモンテヴェルディ合唱団。人数を絞った古楽系の合唱です。オーケストラと合唱の音量バランスが、他の盤と根本から違います。そのため、第4楽章の聞こえ方がいちばん変わるのはこの盤です。
パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン(2008年)
2004年から続いた全集を締めくくる第9番です。ベルリンでのセッション録音で、収録時間は1時間3分53秒。古楽器のガーディナー盤に近い速さです。ステレオ黄金期の各盤より、4分から15分ほど短い数字になっています。
ここが7枚のなかで、いちばん考えさせられる点です。この盤は古楽器を使っていません。現代楽器の室内オーケストラで、速いテンポと見通しの良い響きを実現しています。つまり「古い響きか、新しい響きか」は、楽器の種類だけでは決まらないのです。ものさし2の分け方そのものが、この一枚で揺さぶられます。楽譜には、原典を調べ直して作られたベーレンライター新原典版が使われています。
で、どれから聴けばいい?
実用的な提案をひとつ。まずガーディナー盤で、第4楽章だけを通して聴いてください。次に同じ第4楽章を、ベーム盤で。最後にバーンスタイン盤で、バリトンの「O Freunde」から数分だけ聴きます。
合計で1時間ほどです。この順番だと「速くて軽い」「重くて厚い」「とにかく巨大」の三段階が、順に立ち上がってきます。20分の差がどこで生まれているのか、体感としてつかめるはずです。70分を7回聴く必要はありません。同じ場所を、違う演奏で聴く。それが聴き比べの、いちばん効率のいい入口です。
そのうえで、いつか年末に「今年はあの人の第九を聴こう」と思うようになったら、もう手遅れです。ようこそ。
作品情報
- 作品名
- ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」
- 作曲年
- 1822〜1824年(ベートーヴェン最後の完成交響曲)
- 初演
- 1824年5月7日/ウィーン
- 楽章構成
- 第1楽章(ニ短調・ソナタ形式、空虚五度=うつろに響く2音だけの和音で開始)/第2楽章(スケルツォ)/第3楽章(緩徐楽章=ゆっくりした楽章)/第4楽章(独唱・合唱を伴うフィナーレ)
- 演奏時間
- 約70分。ただし録音では約60分〜約80分まで開く
- 編成
- 大編成オーケストラ+独唱4名+混声合唱(第4楽章)
- 本記事の盤
- フルトヴェングラー/バイロイト(1951)、トスカニーニ/NBC(1952)、カラヤン/BPO(1962)、ベーム/VPO(1970)、バーンスタイン/混成(1989)、ガーディナー/ORR(1992)、P.ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィル(2008)