ソナタ形式は、『運命』第1楽章で覚える

ソナタ形式を提示部・展開部・再現部・コーダの帯グラフで示し、「旋律が消えたら」「立ち止まったら」という聴き分けの合図を書き添えた図解。背景はベートーヴェンの肖像
図版=編集部制作/背景=ベートーヴェンの肖像/ヨーゼフ・カール・シュティーラー画(Wikimedia Commons, パブリックドメイン)

提示部、展開部、再現部。学校で習った覚えがある、という人は多いはずです。ところが、この3つの言葉を頭に入れて交響曲を再生してみると、どうでしょう。どこで何が切り替わったのか、さっぱり分かりません。

無理もありません。ソナタ形式はたいてい図で説明されます。四角い箱が横に並んで、矢印でつながっている、あの図です。

けれども、図は目で見るもので、音楽は耳で聴くものです。箱の絵をいくら眺めても、いま鳴っている音がどの箱の中にいるのかは教えてくれません。

そこで、教材を1曲に絞ります。ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』の第1楽章です。誰もが冒頭を知っていて、しかも曲の骨組みがはっきり聴き取れる楽章です。用語を覚えるのは後回しにして、「いま何が起きているか」を耳で捕まえることだけを目標にします。

教材はこちらに用意しました。読みながら、いつでも聴き直せます。

♪ 試聴:ベートーヴェン『運命』第1楽章(この記事の教材)

“Symphony No. 5 in C minor, Op. 67” Musopen / Public Domain

ソナタ形式がやっているのは、対比と回収です

先に見取り図を描いておきます。ソナタ形式は、提示部・展開部・再現部・コーダという4つのまとまりでできています。やっていることは単純です。

まず提示部で、性格の違う2つの主題(曲の顔になる旋律)を並べて対比させます。次に展開部で、それをばらばらに壊し、調(曲のキー)をあちこちへ動かします。そして再現部で、調をひとつに揃えて回収します。コーダは、締めくくりの部分です。

聴くときに効く前提を、ひとつだけ挙げておきます。再現部の役目は「もう一度同じものを聴かせること」ではありません。提示部でばらばらだった調を、ひとつの調に揃え直すのが再現部です。だから再現部では、聞き覚えのある音楽が戻ってくるのに、着地の感触が最初とは少し違うのです。

覚えるのは、4つの音だけ

第1楽章はハ短調、4分の2拍子です。冒頭に鳴るのは、同じ音を3回たたいて最後に下へ跳ぶ、4つの音。ジャジャジャジャーン、のあれです。この短いかたまりを動機(モチーフ)と呼びます。旋律と呼ぶには短すぎる、いわば音楽の最小のレンガです。

この楽章でやるべきことは、実質これだけです。4つの音を頭に入れて、「いま鳴った」「ここにも隠れている」と拾いながら聴く。ベートーヴェンはこの動機を木管にも弦にも金管にも渡し、形を変えながら楽章の隅々まで埋め込みました。ひとつの素材をしつこく育てて曲を作る書き方を、動機労作といいます。楽章全体がひとつながりに聞こえるのは、どこを切っても同じレンガが顔を出すからです。

なお、「運命が扉を叩く音だ」という有名な言い回しがあります。ただしこれは、ベートーヴェン自身が楽譜に書き込んだ言葉ではありません。伝えたのは、晩年のベートーヴェンのそばにいて伝記を残したアントン・シンドラーです。シンドラーの証言は、後年の研究で信頼性を疑われているものが少なくありません。扉を叩く音として聴かなくても、この楽章は最後まで追えます。この記事では4つの音を、物語の比喩ではなく、曲を組み立てる素材として扱います。

提示部 ── 性格の違う2人が出てくる

第1主題は、冒頭の動機そのものです。ハ短調で、短く跳ねるリズムが休符でぶつりぶつりと断ち切られます。旋律を歌うというより、音のかたまりを畳みかけていく音楽です。

しばらくすると、音の性格ががらりと入れ替わります。第2主題は変ホ長調。ハ短調から見て、いちばん近い関係にある長調(平行調)です。隣どうしの音を順になぞっていく、流れるようにやさしい旋律です。

跳ぶ動きと、なだらかな動き。短調と、長調。第2主題は、第1主題と正反対になるように作られています。耳の手がかりは単純で、音楽が急に明るくなって旋律が歌い出したら、そこが第2主題です。理屈で判定する必要はありません。

ただし、この2人は他人ではありません。第2主題は、リズムと和声(和音の進み方)の面で、冒頭の動機とつながっています。対照的に響くのに、使っている素材は共通しているのです。優しい顔をした主題の足元にも、同じレンガが埋まっている、と思っておいてください。

もうひとつ、初めて構造を追う人がつまずくポイントを先に伝えます。提示部の終わりには「繰り返し」の指示があり、実施するかどうかは演奏によって違います。繰り返す演奏では、提示部が終わると冒頭の4音に戻ります。ここで「もう再現部が来た」と思ってしまいがちです。

見分け方は簡単です。戻ってきたのが楽章の前半なら、それは繰り返しです。本物の再現部が来るのは、次に説明する荒れた時間帯を通り抜けたあとになります。

展開部 ── 旋律が消える

提示部が終わると、音楽の様子が変わります。まとまった旋律が出てこなくなるのです。動機は細かく切り刻まれ、切れ端だけが楽器から楽器へ受け渡されていきます。調も次々と遠くへ移り、どこにも落ち着きません。

ですから、展開部を見つけるのに和声の知識はいりません。口ずさめる旋律が見当たらなくなったら、そこが展開部です。聴いていて落ち着かない、着地しそうでしない、と感じる時間帯です。その不安定さは書き損じではなく、わざとそう作られています。提示部で並べた素材をいったん壊して、戻ってくる瞬間を待ち遠しくさせるためです。

再現部 ── オーケストラが立ち止まったら合図です

嵐のような時間が引くと、冒頭の音楽が戻ってきます。ここが再現部です。

ただし、そっくり同じではありません。いちばん分かりやすい目印は、オーボエが一瞬立ち止まって、短いソロ(カデンツ)を差し込むところです。オーケストラ全体が息を止めて、木管がひとりで歌う数秒間。これは提示部にはなかった時間なので、聴こえたら再現部に入ったと判断して構いません。畳みかけてくるこの楽章のなかで、音楽がはっきり立ち止まるのは、ほぼここだけです。

第2主題も戻ってきます。ただし、提示部のときとは違う調に置き直されています。ばらばらだった調が、ここでひとつに揃うのです。冒頭とほとんど同じ音が鳴っているのに、収まり方が違って聞こえるのはそのためです。

コーダ ── 終わりそうで、終わらない

再現部が終わっても、この楽章はまだ終わりません。コーダがとても長いのです。動機を畳みかけ、終わったと見せかけては、また走り出します。

コーダは本来、締めくくりのための短い付け足しです。ところがこの楽章では、それが長大に書かれています。聴き手が「もう終わるだろう」と思ってから、実際に終わるまでに、まだ距離があるのです。この曲の押しの強さの正体は、ここにあります。

次に再生するときの、3つの手がかり

持ち帰る道具は3つだけです。まず、冒頭の4つの音を頭に入れる。口ずさめる旋律が消えたら、そこが展開部。オーケストラが立ち止まってオーボエが歌い出したら、そこが再現部です。この3つで、楽章の骨組みはだいたい追えます。

限界も書いておきます。実際の区切りは、図のようにきれいには切れません。とくに提示部から展開部へ移るあたりは、演奏によって境目がぼやけます。

また、繰り返しを実施する演奏としない演奏では、同じ楽章でも切れ目の来る位置が体感で数分ずれます。最初の一回は演奏をひとつに決めて、そこから動かさないほうが迷いません。

編集部では、パブリックドメインで公開されている総譜(IMSLP)に当たり、4つの区分の切れ目を確認しました。そのうえで、小節番号ではなく耳で追える手がかりに置き換えています。各部の長さを帯にした図解と、動機の受け渡しについて自社の奏者に聞いた回は、いずれも準備中です。

同じ設計図でも、どう鳴らすかは指揮者によってまるで違います。構造が分かった耳で演奏を選び直したくなったら、『運命』名盤6枚の聴き比べへどうぞ。ここまでが曲の側の話で、その先は「誰の演奏か」という話になります。

作品情報

作品名
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67(通称『運命』)第1楽章
形式
ソナタ形式(提示部・展開部・再現部・コーダ)
調・拍子
ハ短調/4分の2拍子
第1主題
ハ短調。同音3連打+下行からなる4音の動機による
第2主題
変ホ長調(ハ短調の平行調)。順次進行中心の流れる旋律
楽譜
IMSLP(パブリックドメイン)で総譜を閲覧できる